パターンにまつわるあれこれ

子どもたちを自然の中に放置すると、しばらくしてそれぞれの興味に従って「観察するもの」を選び出す。あるものは昆虫を眺め、あるものは花を眺め、あるものは海岸に寄せる波を眺める。そうしているうちに、子どもたちがふっと観察対象のなかにのめり込む時間が訪れる。それは彼らの様子を横で見ているとわかる。いったいどういう場合に「のめり込む」のか。それは「パターンを発見したとき」である。虫の動きのうちにある法則性があることを直感したとき、花弁のかたちにある図形が反復することを直感したとき、岸辺に寄せる波の大きさに一定のパターンがあることを直感したとき、子どもたちは彼らなりのささやかな「予想」を立てる。もし自分の仮説が正しければ、次は「こういうこと」が起きるはずだと考える。そして自分の「予想」の通りの「イベント」が起きるかどうか息を詰めて見守る。

『日本の反知性主義内田樹編、晶文社、2015年

 

子どものうちから、人はパターンを発見することに喜びを覚えるらしい。

 

自宅のすぐ近くにコンビニがある。仕事帰りの深夜に立ち寄ることが多い。そういう場合は大抵夕食を作る気力がなくて、カップ麺でも買って帰ろうかというときだ。
で、このコンビニなのだが、結構な頻度で無人店舗化する。最近はセルフレジの導入が進んでおり……という話ではない。普通に、店員がレジに立っていない。つまり会計ができない。
奥から店員が出てくるかと思い、少しの間待ってみる。……が、一向に現れない。「すいませーん」と、虚無に向かって声をかけてみる。……反応はない。諦めて、何も買わずに店を出るしかない。
このコンビニ以外にも近くに別のコンビニはあるのだが、あの店にはなくて、この辺りではここにしか売っていないカップ麺をどうしても食べたくなることがある。そういうとき、会計ができずに帰るしかないのはとても悔しい。

 

ある日もそのコンビニは無人店舗だった。またか、と思いつつ、しばらく店の中にいると、なんとその日は奥から店員が現れた。眼鏡をかけた彼は少し焦った様子で、小走りでレジまでやって来た。ハーパンだった。コンビニ店員がハーパンなのは初めて見た。
無事に会計をしてもらったが、様子を見るにおそらく彼は寝起きだった。店の奥で居眠りをしていたのだろう。

 

そのまたある日も無人店舗に途中で店員が現れた。やはり眼鏡をかけた彼だった。そして寝起きっぽかった。間違いない、こいつは深夜、客が少ないのを良いことに仕事中居眠りをしている。

 

数ヶ月ほど前、珍しく彼が最初からレジに立っており、会計をしてもらったついでに名札を見た。知り合いにはいない苗字だったが、今は引退した元野球選手に似たような苗字の人がいたなと思った。帰宅して、○○(苗字)、許さん!と一人で怒った。

 

普通に暮らしていると怒りの感情は長く続かないもので、眼鏡の彼のことなんかすっかり忘れてしまう。店の前を通りかかって、そういえばあいつ!○○!許さん!臥薪嘗胆!とわざわざ名前を思い出して、怒りを忘れないようにしたりしている。

 

この間も彼のことは忘れていたが、久々の臥薪嘗胆ごっこをしたときは思い出した苗字が間違っていた。昨日店に行ってもう一度正しい苗字を確認してきた。まあその程度の怒りということだが。
とにかく、深夜あのコンビニが無人店舗だったら、間違いなく犯人は眼鏡の彼である。

 

 

自分自身でも行動をパターン化することはよくある。パターン化しておくとその都度無駄に考える必要がなくて楽だし早い(思考停止とも言う)。


例えばクレジットカードで支払いをするとき、支払い回数を訊かれると必ず一回でと答えるようにしている。


そのせいで、この間20万円するドラム式洗濯乾燥機を購入したときも迷わず一括払いにしてしまった。人生で初めてiPhoneより高い買い物をしたというのに、決断が爽やかすぎた。別にこのせいで生活ができなくなるわけではないのだが、いつか失敗しそうだ。

 

何でもパターン化すると応用が効かない。if文を増やしまくると覚えきれない。汎用の関数を作るのみにしておいたほうがいい。

 

 

1日にコーヒーを3杯飲む。これは自分の中で決まっている。
朝10時半頃に出社し、1杯目はインスタントコーヒーを飲む。寝起きだと味がよくわからないので適当。
2杯目は昼。休憩から戻ったら、コーヒー屋で挽いてもらった豆をドリップして飲む。午後から本気出す、その前に少しでも贅沢な時間を、的な気持ち。
3杯目は夕方。インスタントコーヒー。長い夜に備えて。豆がもったいないから安いやつでOK。

 

ただ最近、朝にドリップしたり、昼にインスタントコーヒーを飲んだりしていた。理由は単純で、朝インスタントコーヒーを切らしていたり、昼に豆を切らしていたりしたから。


そんな感じでランダムにドリップとインスタントをしていたら、ついに先輩から「インスタント飲んだりドリップしたりするの、どういう基準なの?」と訊かれた。
おそらく先輩は、わたしがコーヒーを飲む習慣にパターンを見出そうとしたのだが、起こるはずの「イベント」が途中で起こらなくなったために混乱したんだろうな。

 

しばらく豆を切らした状態が続いているので、明日は少し多めに挽いてもらおう。600gくらいか。いつものパターンで「イタリアンロースト200gで」と言ってしまわないか心配だが。