近所の美術館を久々に訪れた話

家から歩いてすぐのところに北浦和公園がある。その中には埼玉県立近代美術館があって、先日そこに企画展を観に行った。9/6まで開催される「動く、光る、目がまわる!キネテッィク・アート」(http://www.pref.spec.ed.jp/momas/)は、平面作品や映像作品のほかに、実際にスイッチで動かせるインスタレーション作品が沢山あり、わーとかうおーとか、会場内は結構盛り上がっていた。風に揺れることで持ち味を発揮する作品のそばでは、係りのお姉さんがタイミングを見ながら何度もうちわで風を送り続けていた。

 

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ポスターは角度によって違う色に見える

 

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撮影可能な作品がほとんど

 

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おまけのステッカー

 

 

キネティック・アートを観たついでに、常設展も観ていくことにした。ここの常設展は2008年に「MOMASコレクション」と名前を変えたのだが、受付の女性が「このチケットで常設展もご覧いただけます」と言っていたので、きっと今もまだ常設展と呼んで良いのだろう。

 

常設展は中で4つのパートに分かれていて、はじめが「印象派からピカソまで」だった。そこにはモネの『ジヴェルニーの積みわら、夕日』があった。むかし、何度もここで観た絵だった。小さかった頃のことを、いくつも思い出した。

 

 

通っていた幼稚園には、「かいがさくひんてん」という催しがあった。一年を通して作ってきた作品や、催しに向けて特別に作った作品を展示するイベントで、その日はいつもの歌もお祈りもお休みして、保護者と一緒にみんなの作品を観てまわった。

 

年長のとき、特別に作る作品のテーマは「海」だった。遠足で行った葛西臨海水族園で見た海の生き物を、絵や粘土で表現することになっていた。

教室には大きな「海のトンネル」が作られ、夜光塗料を使って描いた魚の絵が泳いでいた。妖しく光る魚に興奮して、出たり入ったりを繰り返していたのを覚えている。

 

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f:id:enkbutter:20150705061657j:plainトンネル内部

 

ちなみに遠足では、暗い水族館内で迷子にならないよう、夜光塗料を塗ったリボンを各自帽子につけていて、園児たちの間で「やこうとりょう」はお馴染みのアイテムになっていた。

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トンネルを抜けた先が問題だった。粘土で何か作って展示しなければならないのだが、わたしはしばらく何も作れないでいた。水槽がでかかったことや、外で食べたサンドイッチが美味しかったこと、当時好きだった子が葛西臨海公園を「かーちゃん噴火こうえん」と言ったのがすごく面白かったこととか、そういうことは覚えているんだけど、肝心の生き物については全く覚えていない。見ていなかったのかもしれない。でも、何か作らなくちゃいけない。そこで考えた。

 

「やっぱ、すいぞっかんっていったら、おうさまペンギンでしょ」

 

おうさまペンギンがどんなペンギンなのかはよくわからない。でも動物に詳しい友達がおうさまペンギンの話をしてたしきっとすごいやつなんだろうなと思っていた。とりあえず、真剣に作った。

 

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実際に見ていないのがバレバレである。あとで幼稚園にあった本で王様ペンギンの写真を見つけ、思い描いていたおうさまペンギンと全然違うことに焦った覚えがある。しかし作り直す時間もないので、これでいいやと出品する運びになった。

 

当日、どんな反応をされるのだろうとビクビクしていたのだが、予想に反して評判は良かった。特に保護者の間で。意図とは違ったが、あれが「自分の作ったもので笑いをとる」ことの原体験だったように思う。

 

 

公園の真ん中にある美術館は気軽に立ち寄りやすい。小学生の頃、友達と外で遊んだついでに涼みがてら絵を観てまわるということをよくしていた(中学生以下は常設展が無料)。油絵の凸凹具合が好きで、全部の作品を下から覗き込むように観ていたら係りの人に注意された……なんてこともあった。

 

久しぶりに対面した『積みわら』は、やけに明るく見えた。こんなに明るかったっけと思った。小さい頃に観たその絵は、薄暗くて、ちょっと不気味なように感じられたはずだった。

それは「印象派ってこんな感じだよね」とぼんやり知っているからそう見えるだけなのかもしれないし、自分の背丈が伸びて、見る角度が変わったことによる違いからくるものかもしれない。

 

変わらない毎日だなと思っていたけれど、実は相当な時間が経っていることを『積みわら』に気付かされたようで、ドキリとした。