鬼が居ないのに洗濯しない

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決めるってのは結構しんどい。

 

引っ越ししてみようかなと思い、ネットで賃貸住宅の情報を見る。
広い部屋、古いけど味のある造り、賑やかな街……今とはちょっと違った生活を想像するとそれだけで楽しくなる。
しかし、そんなわくわくした気持ちもすぐに蓋をされる。
「今じゃなくても良いか。」という自分の声に。

 

現在住んでいる部屋には、別に不満がない。
家賃はやや高めだけど、日当たりが良いし、設備も割と整っているし、駅やスーパーも近い。そして何より職場が近い。徒歩10分以内で行ける。
(一週間のうち5日働く生活をしていると、職場に近いかどうかはかなり重要)

 

例えば家賃が安くて広い部屋という条件を優先して、職場まで自転車で10分くらいのところに引っ越したとする。
晴れていれば良い。今と同じ時間に起きれば間に合う。でも、雨だった場合、歩いて行かなきゃいけない。
当たり前だが徒歩は自転車より時間がかかるから、その分を見越して早起きする必要がある。
いくら気をつけて起床時間を調整しても、朝起きたら予想外の雨が降っていたということもある。天気予報がいつだって当たるとは限らない。
別に濡れても構わないなら、雨だろうがいつも通りの時間に起きて自転車で行けば良いんだけど。でも濡れたくないしな。

 

それに、新しい部屋がいつも日当たりが良いのかは住んでみないとわからない。内見した日がたまたま何らかの条件が重なって明るく見えていただけかもしれない。スーパーの品揃えが思ったより微妙かもしれない。隣の住人が嫌がらせをしてくるかもしれない。
引っ越し先があまり良くなかったら、すぐに今の部屋に戻ってこられるのかな。さすがにもう無理か。別の人に取られちゃうか。
奇跡的に空いていたとしても、形式的には新たに入居ということになるから、また敷金やら礼金やらを払う羽目になるのか。

 

引っ越しするというだけで、あまりに考えることが多い。面倒だな。
じゃあ別に、今の生活に不満はないし、思い切って失敗するくらいなら引っ越さなくても良いか。というか今の生活で良いじゃん。となるわけだ。

 

今の環境に不満はないと言ったが、実はうちには駐輪場がない。それはちょっとだけ不便かもしれない(玄関に折りたたみの自転車を置いている)。
でも、わざわざ職場に自転車で行くほどの距離でもない。
だから、必然的に自転車を使わない生活になる。
晴れでも雨でも関係なく同じ時間に起きて、同じ時間に家を出ればいい。
天気の事を考えて睡眠時間を計算したり、突然のパンクの心配をしたりしなくていい。
選択肢を持たないというのは、楽なことだ。

 

 

かのスティーブ・ジョブズ氏や、某有名アートディレクター(くまモンとか作った)は、毎日同じ服を着ている(た)という。洗濯していないのではなくて、同じ服を何着も持っている。どうしてか? 毎日着る服を悩まなくて済むから。

 

前情報なしにそう聞くと、「やっぱり有名な人って変わってるんだな〜」と思って終了する。あと、確かに毎日同じ服だと楽だなとか(今思えば、中学や高校の制服って楽だったな)。


だが、この話の大前提になっているのは、彼らは仕事で意思決定をする場面がものすごく多いということ。より良い仕事をするために、ストレージを確保する。だから、それ以外のメモリは圧縮する。
彼らがファッションに無頓着なのではない。ジョブズ氏の服は良質なものだし、某氏もかつては散々ファッションにお金をかけていたが、最終的に現在のスタイルに落ち着いたのだという。
仕事とファッションを天秤にかけたとき、ファッションを「選ばないことを選択した」という話なのだ。

 

2018年現在がバブルなんじゃないかという話がある。
92年生まれのわたしには実感がないからよくわからないが、バブルというのは弾けて初めて気づくものらしい。「あの時は景気が良かった」的な。
生まれた頃から不景気と言われていて、劇的に上がったり下がったりしたことがない。でも実はオリンピックやら何やらで不動産や株価のバブルは進んでいて、どこかで弾ける。で、おそらく一般市民の我々にも影響が及ぼされる。

 

それと同じで、幸福とか不幸とかって、相対的なものだと思う。
幸せ真っ只中にいるときは、気付かない。それが「いつも通り」だから。でも何かが起きて状況が変わったとき、「あの頃に比べたら今は不幸だ」と感じるのだろう。
そして、緩やかに下降しているときも、多分気付かない。それが「いつも通り」だから。「あれ、もしかして今不幸なんじゃない?」とようやく思い始めた頃には、「幸福だった頃」とはかなりの開きが生じている。

 

決断を先延ばしにして現状を維持するのが悪いのではない。別に、それで怒られる訳でも、誰かが傷つく訳でもないし。
ただ、本当に現状を維持できているのか? という点については考えたほうが良いかもしれない。


部屋の話に戻るが、こうして同じマンションに住み続けている間にも建物の老朽化は進んでいく。だが、建物の価値が下がると家賃も下がるかと言えばそうではない。上がることはあっても下がりはしないだろう。となると、10年後に同じ家賃を払い続けているのは損をしていることになる。あるいは取り壊しのために退去を迫られ、慌てて別の部屋を探す羽目になるかもしれない。そしたら、「もっと時間のあるときに色々探しておけば良かった」と思うんだろうな。

 

もう既に、緩やかな下降は始まっている。

 

 

生活していく中で、漠然とした不安のようなものがいつもある。はっきりした形ではなく、もやもやしているんだけど、確実にそこにある。
何とかしたいけど、どうしたら良いかわからないから、とりあえずそのままにしておく。
そのままにしておくのは結構楽だ。明日急に不幸になる訳でもないし。
で、そうしているうちに、またもやもやが大きくなっている気がする。

 

「すごいな」と思わせてくれる人は、このもやもやを周りに感じさせない。
彼らは選択している場面が多い気がする。今よりももっと良くなるように、楽しくなるように。もちろんそれで失敗することはあるけれど、また選択し直すから問題ない。という感じか。とにかく決断を面倒くさがらない。
不安はもちろんあるんだろう。けど、きちんと向き合って、一つ一つもやもやを潰していってるんだろうな。

 

すごくなくて良いから現状維持で良いやなどとセコいことを考えている我々は、疑いもせず定額の家賃を払い続けたり、楽だからと同じような服ばかり着ている場合ではない。
すぐには引っ越せないとしても、せめて明日はいつもと違う服を着てみようというぐらいで、やっと現状維持ができるかどうかってところじゃないかなあ。
選択しようとしないのは、面倒くさいからだろうか、失敗するのが恐いからだろうか。
別に失敗したって、誰も怒らないのにね。

 

みんなのもやもやがちょっとずつ減ったら、もうちょっと楽しい世界になったりしないかなあ。