近所の美術館を久々に訪れた話
家から歩いてすぐのところに北浦和公園がある。その中には埼玉県立近代美術館があって、先日そこに企画展を観に行った。9/6まで開催される「動く、光る、目がまわる!キネテッィク・アート」(http://www.pref.spec.ed.jp/momas/)は、平面作品や映像作品のほかに、実際にスイッチで動かせるインスタレーション作品が沢山あり、わーとかうおーとか、会場内は結構盛り上がっていた。風に揺れることで持ち味を発揮する作品のそばでは、係りのお姉さんがタイミングを見ながら何度もうちわで風を送り続けていた。
ポスターは角度によって違う色に見える
撮影可能な作品がほとんど
おまけのステッカー
キネティック・アートを観たついでに、常設展も観ていくことにした。ここの常設展は2008年に「MOMASコレクション」と名前を変えたのだが、受付の女性が「このチケットで常設展もご覧いただけます」と言っていたので、きっと今もまだ常設展と呼んで良いのだろう。
常設展は中で4つのパートに分かれていて、はじめが「印象派からピカソまで」だった。そこにはモネの『ジヴェルニーの積みわら、夕日』があった。むかし、何度もここで観た絵だった。小さかった頃のことを、いくつも思い出した。
*
通っていた幼稚園には、「かいがさくひんてん」という催しがあった。一年を通して作ってきた作品や、催しに向けて特別に作った作品を展示するイベントで、その日はいつもの歌もお祈りもお休みして、保護者と一緒にみんなの作品を観てまわった。
年長のとき、特別に作る作品のテーマは「海」だった。遠足で行った葛西臨海水族園で見た海の生き物を、絵や粘土で表現することになっていた。
教室には大きな「海のトンネル」が作られ、夜光塗料を使って描いた魚の絵が泳いでいた。妖しく光る魚に興奮して、出たり入ったりを繰り返していたのを覚えている。
トンネル内部
ちなみに遠足では、暗い水族館内で迷子にならないよう、夜光塗料を塗ったリボンを各自帽子につけていて、園児たちの間で「やこうとりょう」はお馴染みのアイテムになっていた。
トンネルを抜けた先が問題だった。粘土で何か作って展示しなければならないのだが、わたしはしばらく何も作れないでいた。水槽がでかかったことや、外で食べたサンドイッチが美味しかったこと、当時好きだった子が葛西臨海公園を「かーちゃん噴火こうえん」と言ったのがすごく面白かったこととか、そういうことは覚えているんだけど、肝心の生き物については全く覚えていない。見ていなかったのかもしれない。でも、何か作らなくちゃいけない。そこで考えた。
「やっぱ、すいぞっかんっていったら、おうさまペンギンでしょ」
おうさまペンギンがどんなペンギンなのかはよくわからない。でも動物に詳しい友達がおうさまペンギンの話をしてたしきっとすごいやつなんだろうなと思っていた。とりあえず、真剣に作った。
実際に見ていないのがバレバレである。あとで幼稚園にあった本で王様ペンギンの写真を見つけ、思い描いていたおうさまペンギンと全然違うことに焦った覚えがある。しかし作り直す時間もないので、これでいいやと出品する運びになった。
当日、どんな反応をされるのだろうとビクビクしていたのだが、予想に反して評判は良かった。特に保護者の間で。意図とは違ったが、あれが「自分の作ったもので笑いをとる」ことの原体験だったように思う。
*
公園の真ん中にある美術館は気軽に立ち寄りやすい。小学生の頃、友達と外で遊んだついでに涼みがてら絵を観てまわるということをよくしていた(中学生以下は常設展が無料)。油絵の凸凹具合が好きで、全部の作品を下から覗き込むように観ていたら係りの人に注意された……なんてこともあった。
久しぶりに対面した『積みわら』は、やけに明るく見えた。こんなに明るかったっけと思った。小さい頃に観たその絵は、薄暗くて、ちょっと不気味なように感じられたはずだった。
それは「印象派ってこんな感じだよね」とぼんやり知っているからそう見えるだけなのかもしれないし、自分の背丈が伸びて、見る角度が変わったことによる違いからくるものかもしれない。
変わらない毎日だなと思っていたけれど、実は相当な時間が経っていることを『積みわら』に気付かされたようで、ドキリとした。
(ヒマな大学生の為の)バイト哲学~バイト選び編~
「あ~、今月20日間連続で飲みだ。」
あたしは都内私立大学(文系)に通う、大学3年生。
授業はそこそこに、ヒマさえあれば飲みに出掛ける毎日。
入学して以来、油モノとアルコールで顔周りはもうパンパン。
なのに、おサイフは多額の交際費でスリムになっていく一方・・・。
「あたし、全然お金無いじゃん!!!」
気付かぬうちに、自分が貧乏なブスに成り下がっていることに気付いた。
一部の方を除いて、お金というのは簡単に手に入るものではない。
何かしら苦労をしなければいけないのだ。
そこであたしは、バイトを探し始めることにした。
今回お送りするのは、
「(ヒマな大学生の為の)バイト哲学~バイト選び編~」。
これはあくまでも時間を持て余した大学生向けであって、バイトを将来の仕事に繋げたいと考えている、あるいは生活費や学費を稼いでいらっしゃるカンシンな大学生の方には全く当てはまらない内容です。どうか軽蔑の眼差しを向けるだけに留めてください。殴らないでください。
§1 チェーン店を選べ
◆マニュアル
複数の店舗にそれぞれ従業員を抱えているのですから、統制をとるためチェーン店には多くの場合マニュアルというものが存在します。
マニュアル化された仕事は、書いてある通りにやれば誰でも出来る便利なシステムです。
こんな叫びが聞こえてきそうです。「自分にはもっと出来ることがあるのに、そんな決まりきった仕事なんてつまらないよ!!」
否。
まず、遊ぶ金目的でバイトをするような下心満載の人が自分の能力を生かそうなんて考えるのが間違っています。
そもそも能力なんてないし、雇い主からもそんなことは期待されていないと思った方が良いでしょう。
何か特殊な能力に長けたスペシャリストよりも、全員がまんべんなく仕事の出来るゼネラリストであるほうが仕事全体の効率が上がります。
仮に釣り銭チェックの作業が異常に速いコンビニ店員がいるとします。
バンバンお札捌いてます。
半沢直樹も二度見するレベル。
そこで、この店員に「公共料金の支払いをしたいんですけど」と頼んでみます。
釣り銭チェックスペシャリスト、急にあたふたしだします。
レジのエラー音がピンポン♪ピンポン♪と陽気なリズムを生み出し始めました。
全然意味ないじゃないですか。
誰でも出来る、マニュアル化された仕事を、普通に、まんべんなくできるゼネラリストでありたいものです。
◆シフトの融通が利く
チェーン店といっても業態は様々です。斜向かいにあるじゃん。ってぐらい意味不明な店舗数を誇るコンビニや、駅周辺に3店舗もあるんだね。っていう飲食店など。
上記のようにチェーン店は仕事がマニュアル化されているため、従業員はどの店舗にいても大体同じように仕事が出来ます。困ることがあるとすれば、いつもの店舗よりトイレまでの距離が地味に遠かった、ぐらいでしょう。
「この日はオール明けだからバイト入れたくないな」というけしからん理由でシフトを入れなくても、罪悪感なんて抱く必要はありません。自分と同じような人が、他店から応援に来てくれますから(ヘルプですね)。交換可能です。駒です。
おすすめ出来ないのは、郊外型のやたらでかい店舗(ドラッグストアやホームセンター)。
これらのお店はそれぞれの店舗が離れていて、電車や車での移動が必至です。そのため、ヘルプという制度を簡単に組み込むことは出来ません。
近隣にそこそこの店舗数があるチェーン店を選ぶべし。
§2 長い時間働くな
◆ガッツリ稼ごうとしない
ここは声を大にして発言したいところです。
ガッツリ稼ごうとして、丸一日をバイトに費やす人をよく見かけます。
こういう
ですが、思い出してください。あなたは遊ぶ金目的でバイトを始めたはず。
丸一日をバイトに費やして遊ぶ時間が無くなってしまったら本末転倒です。
また、長時間働くと確実に疲れます。
まずは遊ぶ時間の確保に努めるべきです。
◆ちょっと頑張って早起きする
上と同じ時間割でも、頑張って早起きをすることで、バイトの時間と遊ぶ時間の確保を両立出来ます。
まぁ、確かに稼ぎは減りますが。
ポイントは、朝~昼までしか働かないということ。これ以上働くと遊ぶ時間は失われるし、疲れます。
短い時間でシフトを出せるのも、シフトの融通が利くチェーン店という前提があってこそ。
早起き型バイトは、ぶ〇こうに多い半夜間学生タイプの場合その威力を存分に発揮します。
バイトを終えて授業に直行するため、遅刻の心配なし。
6限を除き、夜はフリー。
全休もある。
わたしはこの生活で、月100時間以上の稼ぎを得ました。
今回のまとめ
遊ぶ金目的でバイトを始めるヒマな大学生は
・チェーン店であること
・長い時間働かないこと
・頑張ってちょっと早起きすること
以上の点に留意することで、脱・貧乏ブスを図れることでしょう!
次回は「(ヒマな大学生の為の)バイト哲学~実践編~」をお送りする予定です(しないと思います)。
心のノートって、覚えてますか
首都医校 2014年度TVCM 患者が自分篇【首都医校ch】 - YouTube
「自分だったらどうしよう」。
相手を自分自身に置き換えて考えることは、わたしたちが昔から、学校や家庭で教え込まれてきたことだと思います。
「自分がされていやなことは、ひとにしてはいけません」。
でも考えてみると、これってちょっとヘンだと思いませんか?
他人は他人であって(「よそはよそ」と言いますね)、自分ではないのですから。
相手がされて嫌なことをしてはいけませんと言うのなら、わかるけれど。
どうして妙に自分目線なのでしょうか。
「自分がされていやなことは、ひとにしてはいけません」
この命題を無批判に受け入れることには、ちょっと待ったをかけたいのです。
「どうして自分がされて嫌なことを人にしてはいけないの?」
「自分がされて、嫌だなぁ~って思うようなことは、人にもやっちゃいけないのよ。」
ダメだからダメって言われました。言い換えてもいません。助詞を理解したオウムですね。
*
映画を観たあと、新宿でオシャレなカフェに入りました。
いつもはタコライスを頼むところ、今日はローストビーフボウルにしてみることに。
しかしどうして、お冷にレモンが入っているだけで得した気分になるんでしょうね。
そういえばめっきり姿を見なくなった東京チカラめしのお冷にも、レモンが入っていたなあ。
さて、お待ちかねのローストビーフボウルが運ばれてきます。
(店員さんが料理を運んで来てくれるまでの間、それに気づかないフリをしたくなる現象について先行研究等ありましたら教えて下さい。)
バラを思わせるような真っ赤なローストビーフの花、その上に艶めかしく自らを横たえる緑色のクレソン。
目まいがするほどのハレーション。
向かいに座る友人は、クレソンが嫌いらしいけれど。わかってないねぇ。
さっきから苦しげなうめき声をあげているお腹の虫に代わって、このわたくしが、蜜を吸い尽くしにかかるのです。
花びらを一枚。
「失礼しまぁ~~~~す」
ところがどっこい、ピカピカのフォークでローストなビーフをめくり上げた瞬間、高ぶった気持ちは一瞬にして消え去ってしまうのです。
虫界の駆け出しがドキドキしながらお目当ての花の扉を明けたら、既にクモがいたみたいな感じです。
ローストビーフの下には、わたしが嫌いなキノコが、それはそれはもう沢山隠れていたのです。
頼むから、あらかじめメニューに書いておいてくれ。
わたしは嫌なことをされました。
自分の嫌いなキノコを、こうやって目の前に出されたのですから。
ローストビーフにどんなに味が滲みていようと、バルサミコ酢との相性が絶妙だろうと、もうわたしの頭の中は、このキノコ群をどうやって処理しようかということで一杯なのです。
そこでわたしは、自分がされて嫌だったことを、他の人にしました。
向かいに座る友人に、わたしの嫌いなキノコを全てくれてやったのです。
しかし、友人は嫌がる素振りなんか何一つ見せず、むしろ喜んでいるようなのです。
*
1.「いやなこと」について
上の例では「いやなこと」=「キノコを出されたこと」と捉えました。
ところがそれを「人にする」=「相手にキノコをやる」ことは、悪いことではなかったようです。
ここでポイントになるのは、
わたしが嫌いなもの=キノコ=相手の好きなもの
であったことです。
そこで、「いやなこと」=「自分の嫌いなものを出されたこと」と捉えてみます。
すると「人にする」=「相手に、相手の嫌いなものをやる」ということになります。なんだか悪いような気がしてきますね。
「自分がされて嫌なことだから、人にしてもいけないんだ」と自動的に受け入れて実行するのではなく、その「いやなこと」をどのレベルから考えるのかということが必要になってきそうです。
2.「自分がされて」と一旦置き換えることについて
「いやなこと」については何となくわかったような気がするものの、実際のところ、「相手の嫌いなもの」というのは、よくわからないのです。
もちろんわたしは、相手がキノコが好きなことを知っていたからキノコをあげたし、クレソンが嫌いなのを知っていたからクレソンを押し付けるようなことはしませんでした。
でも、実は相手がレモン入りのお冷が好きじゃなかったということは、相手が言い出さない限り、ずっと知ることはできないのです。
人間は、他人を本当に理解することなんて、できっこないのです。
相手にとって何が「いやなこと」なのかも、わからないはずなのです。
だから考えるときは、ひとまず自分に基準を置いてみる他はありません。
「もしもわたしがキノコが好きでクレソンが嫌いだったとしたら、」
しかしこれは、やはり完全ではありません。レモン入りのお冷が嫌いだという要素が抜け落ちていますから。
それでもまだ、自分の基準で相手のことを思う意味はあるのでしょうか。
3.「いやなこと」と「正しいこと/正しくないこと」について
「いやなこと」を「正しいこと/正しくないこと」と結びつけるのは、ちょっと立ち止まって考える必要があります。
相手が嫌がるだろうと考え、相手が他の人に暴力をふるうのを内緒にしておくことは、正しいことと言えるでしょうか。
また良かれと思ってカンニングの手伝いをすることも、正しいこととは言えないでしょう。
そもそも今あなたが「正しい」と思っていることは、なぜ「正しい」と言えるのでしょうか。
例えば数学には決まった公式や手続きがあって、それに沿えば必ず正しい答えが導き出せます。
それは数学自身の正しさであって、あなたが思う「正しさ」とは関係ありません。
自分が思うのだから正しいと思っているだけだとしたら、それは危険なことでしょう。
*
世の中には、いろいろな人がいます。
男らしく生きること、女らしく生きることに疑問を持つ人、一方で何も不自由を感じない人。
宗教上の理由で頭に布をかぶる女性は尊重されるのに、帽子をかぶって授業に出たら怒られた。
それに、先程正しいこと/正しくないことの話をしましたが、何が正しくて何が正しくないのかなんて、時代によって変わってしまいます。地球が平らで天が動いているのだという考えが正しかった時代もあったのですから。
それならば、もう自分が思うままに生きれば良いじゃないか。
しかし人が集まると、どうしたって関係が発生します。
それは上下関係かもしれないし、利害関係かもしれない。
自分が思う正しさだけを突き通せば、必ず衝突が起こるでしょう。
レモン入りのお冷が好きな人たちが、こっちが良いからと言って全てのお冷をレモン入りにしてしまったら、レモン入りお冷が好きでない人たちは困ってしまいます。
でも正しさ自体も、時代によって変わってしまう???
そこで必要なのは、妥協点を見出すという作業だと思います。
妥協点は、「すべての人が満足するやり方」とは違います。
それは実際には存在し得ないでしょう。
他人のことなんてわかりっこないから、ひとまず自分に置き換えてみる。
しかし自分の持っている知識、理解できる範疇でものを考えるには限界があります。
互いの意見に耳を貸したり、知らなかった世界の知識を取り入れることで、妥協点にぐっと近づくことが出来ると思います。
それが、不完全なわたしたちにできること
「自分がされていやなことは、ひとにしてはいけません」
なのではないでしょうか。
*
なんてことが、この言葉に隠されているんでしょうかね?とりあえず、「なんで病」を患った子に質問をされたとき、ただ「ダメだからダメなのよ」と教えるのではなく、何かしら答えを用意しておくとこの先便利なんじゃないでしょうか!おわり!
この記事を書くに当たって参考にした本
「14歳の君へ どう考えどう生きるか」
池田 晶子 著、毎日新聞社、2006年
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4620317888?pc_redir=1412450575&robot_redir=1
8年振りに読みました!
プリクラを撮る女子たち
1、はじめに
この写真は、見ての通りプリクラである。
最近でこそ、デジタル一眼カメラの流行やスマートフォンの性能向上によってカメラを用いた写真撮影があらためて注目されているが、わたしたちの年代の女子にとっていちばん身近だと言える写真は何と言っても「プリクラ」だろう。
小学校高学年、いくらかお小遣いを貰うようになってからは、よく友達とショッピングモールのゲームコーナーに足を運んでプリクラを撮ったりそれを交換したりしたものである。
中学生の頃、自分を含め周りの皆がケータイを持つようになると、それと時期を同じくして、プリクラで撮影した写真は画像データとして自分のケータイに保存できるようになった。
高校に上がると、その頃からプリクラの性能は格段に上がり、被写体の顔を認識して実際より目を大きく見せてくれたり、肌をキレイに見せてくれたりするようになった。
そして現在プリクラは、メイク効果を追加できたり、脚を細く長く見せてくれたりもするようになった。
時代と共に着実に性能を上げてきたプリクラであるが、どうしてプリクラは女子に人気があるのか、そしてわたしたちのプリクラについての捉え方、これからのプリクラについて考えていきたいと思う。
2、そもそもプリクラとは?
「プリクラ」は「プリント倶楽部」というアトラス(現在はインデックス<旧:セガドリーム、セガの100パーセント子会社>が手掛けている事業)の商品名の略称である。これは1995年7月に発売されたが、のちに同様の機能を持つ他社製品が次々と登場し、これらを含めて俗に「プリクラ」と呼ばれるようになった。
アトラスが最初に発売した当時のプリクラ機は現在の証明写真機に近いものだった。
(参考:証明写真機)
写せる範囲は顔周辺のみで、出てくる写真は横向きの長方形だった。
このプリクラ機は1997年頃に第一次ブームのピークを迎えたが、その過熱したブームは2年程で収縮し、街中の至る所に設置されていたプリクラ機は急激に数を減らした。
ところがトーワジャパンが「ストリートスナップ」やその後継機「劇的美写」を発売したことをきっかけに、人気は再熱することになった。これらのプリクラ機の特徴は、全身を写せるほど撮影範囲が広がったことである。
全身プリクラ
その後もプリクラ機の性能は進歩を続け、赤外線通信で携帯電話に撮影した画像を送れるほか、肌と髪の色をバランスよく調整し、目だけを大きく写したり、脚を細く長く写したりする機能が開発され、「理想の自分」を手軽に見せてくれるツールとなっている。
3、「詐欺プリ」と修正写真
(1)「詐欺プリ」の登場
上記のように、プリクラはこの20年ほどでかなりの変化を遂げてきた。
最近のプリクラに至っては、写真の中の小顔で色白で脚長な自分に驚いてしまう程だ。
このように被写体を実際より良く見せてくれるプリクラは、俗に「詐欺プリ」と呼ばれている。
SNSのプロフィール画像に設定されているプリクラを見て可愛いと思っても、実際にその人に会ってみると、そこに現れたのはプリクラに写っていたはずの可愛い女の子ではなく、面影こそ残しているものの太っていて全然可愛くなかったというようなことは「オフ会」が市民権を獲得し始めた最近ではよく聞く話である。写真の中の人物は、既に本人ではない誰かになってしまっている。「詐欺」とは、このような写真と実際のズレを指す。
ところで皆さんは、「クラウン現象」という言葉をご存じだろうか。
名前から何となく想像がつくかもしれないが、液体を個体壁面上の液膜に衝突させたときに王冠形状が生じる現象のことである。
おなじみ?
かつて写真撮影の技術が発達していなかった頃、このクラウン現象によって生じる王冠は、均整が取れていてとても美しいものだと考えられていた。
実際に当時の科学図版には、美しい形をした王冠が想像のみによって描かれていた。
ところが写真が身近なものになった頃、いざその現象を撮影してみると、図版に描かれたような美しい王冠を写真におさめることは決して出来なかった。上の写真からもわかるように、この現象で生じる王冠は、実は結構いびつな形をしているのである。
理想のような真実はなかったということが、白日の下にさらされてしまった瞬間であった。
なぜクラウン現象について説明したかというと、それは同じことが時を超えて今でも言えると考えるからだ。
普通のカメラで普通に撮った自分の姿を見ると、鏡で毎日見ている自分とは違ってなんだかいつもより太っていたり、いつもより不細工に見えたりするものである(そもそも鏡が左右対称に映るものなのだから違っていて当たり前だが)。
そう、理想のような真実は存在しないのだ。
自分の姿(現実)が思っていたもの(理想)と違うと残念な気持ちになるし、自分の信じているものと現実との間にズレが生じていることが明らかになれば、少なからず不安な気持も引き起こされることだろう。
そうなると、安心感を得るため、写真の中の自分を本来自分が思っている姿や、コンプレックスを隠した理想の姿に近づけたいと思ってしまうのは自然なことであると言えるのではないか。
(2)なぜ詐欺プリに騙される?
プリクラが普及した現代では、その修正機能も広く認知されているはずだ。写真の中の人物が本人ではない誰かになってしまっている事実も、苦い思い出と共に実感していることだろう。ところが未だにその詐欺プリに騙される人は後をたたない(「詐欺」と冠するぐらいだから初めは騙されるということだ)。
かつて、こんな話があった。
1880年代に稲妻を写真に収める試みが本格化したのだが、そこで真っ黒に写った稲妻の写真が当時の注目を集めた。
※イメージ図。稲妻が黒い
その写真を見て、人々は「稲妻は本当は黒いのではないか」と考えた。我々が目にする白や青の稲妻は目の錯覚であって、写真におさめられた黒い稲妻こそが本当の姿なのではないかといった具合に。
実はこの真っ黒な稲妻、過度に露光したために黒く焼きついてしまっただけというのが種明かしなのだが、人々は「写真に写ったものだから真実」という理由だけで、真っ黒い稲妻について真剣に考えたのである。
現代においても同じように、修正機能があるとわかっていながら「プリクラも写真なのだから真実」という先入観がはたらいてしまっているのではないだろうか。このことこそが、一度は詐欺プリに騙されてしまうカラクリなのだという説を提唱する。
一方、被写体の側も同じような先入観(プリクラ=写真=真実)はあるはずだし、(1)のように写真の中の自分を理想に近づけることで安心する可能性があるのだから、出来上がったプリクラを見てそこまで違和感を抱くことはない。本人にとっては、プリクラの中の自分はあくまで自分なのであり、むしろプリクラの中の自分こそが本当の自分なのである。
後々他人には<詐欺プリ:本人じゃない誰か>と言われてしまうようなプリクラでも、SNSなどを通じてそれらを公開することに躊躇いがないのは、自分のプリクラに対する違和感を他人ほど感じていない、むしろプリクラの中の自分こそが本当の自分だからではないか。
そして人間は慣れる習性がある。このような修正写真を目にする機会が多ければ多いほど、その修正に対する違和感も次第に薄れていき、「詐欺」はエスカレートしていくのだ。
これからもきっと詐欺行為は、あるいはその損害を大きくしていきながら、突っ走っていくことなのだろう。
4、まとめ
・プリクラの人気が衰えないのはメーカーの不断の努力による
・我々の先入観:プリクラ=写真=真実
・他人はプリクラの中の人物が本人ではない誰かだと後々気付くが、本人にとってはプリクラの中の自分こそが本当の自分
・詐欺プリの被害は今後深刻化
女子トイレ/持たざる女
いつでも混んでいる場所。
それは駅?デパート?
いやいや、
女子トイレだ。
殿方は連れの女性がトイレに行ったきりなかなか戻って来ず、イライラしたという経験が少なからずあることだろう。
実は、女子トイレというのは単なる用足しの場ではないのだ。
まず、化粧直し。
化粧は皮脂や汗でだんだんと崩れてしまうもの。
いつも綺麗でいるあなたの彼女は、恐らくあなたと待ち合わせる前にトイレに立ち寄り、化粧を直しているのだろう。
ちなみに朝の早い時間には、化粧道具の一切を持ち込んで、いちからメイクを始める玄人もいたりする。
次に、歯磨き。
いくら化粧だけがしっかりしていても、お口のエチケットがなっていなければ台無しである。
こちらのような、ポーチに入れてスマートに持ち歩けることを狙いとした、オシャレな携帯用電動歯ブラシが人気を呼んでいる(私も持ってる)。
最近の電動歯ブラシは性能も良く、単なる振動ではなく"音波振動"なるものを発生させ、口内環境向上をアシストしてくれるらしい。
その繊細なバイブレーションを口の中に突っ込み、鏡に映る自分を見つめながら、何を思う、女子たちよ。
そして、お喋り。
女子たちにとって、トイレというのは大事なコミュニケーションの場である。
「その服どこで買ったの?」
「今日はハズレだね、早く帰りたい」
「あの子浮気してるらしいよ」
などと、いわゆる女子会のベータ版のようなものが連日そこで繰り広げられているわけだ。いやむしろ、女子トイレこそが女子会の母と言っても差し支えはないだろう。
そんなこんなで、女子トイレという場所には大抵たくさんの人が居合わせることになるのだ。そして女子トイレには、女子にだけ見える視線の糸が無数に張り巡らされている。
ところで、わたしにはどうしても解せないことがひとつある。
この前たまたま女子トイレに居合わせた女性の話だ。
個室から出た女性は、手洗い場へ向かう。それはもちろん、手を洗うためだ。
自動で水の出る蛇口に手をかざし、水の流れを待つ。
センサーがその手を感知するまでは少し時間が掛かる。まぁ、少しと言ってもほんの一瞬だが。
そして、水が出る。
ようやく水が出たかと思ったその瞬間、手を洗うと思われた女性は、指の先をちょこっと濡らしただけで、サッと引っ込めてしまったのだ。
いやいやいやいや。
いま、え、いま、手、洗ってなかったよね??
(幼稚園の頃、お弁当の前に必ず消毒液を溶いた水に5秒間手を浸すという決まりがあったのだが、冬はその水も凍るように冷たかったから、先生が見ていなかったのを良いことに、前にいた男の子が1秒で手を引っ込めるというズルをかましていたのを思い出した。ちなみに彼は医者の息子だった。)
十分に洗われることなく中途半端に濡らされた彼女の指先。
水としても、役割を全うせずにハンカチに拭き取られてしまうだけの運命なんて御免だろう。完全にHとその半分のOのムダ遣いである。
そんなことを思いながら、わたしはまだその女性のことを見ていた(トイレの列が長い)。
彼女は引っ込めた手をハンカチで拭くと思われた。
ところが彼女は一瞬の躊躇いのような動作を見せた後、あろうことかその手を自分の顔のあたりに持って行き、前髪を整え始めたのである。
いやいやいやいやいや。
え、いま、え、いま、え、手、拭いてなかったよね???
そう、彼女の指先に付着した水は、前髪の乱れを直すために使われたのだ。
良かったね、水!!手はきちんと洗えなかったけど、前髪をキレイにできたよ!!!
そして注意深く観察してみると、このようにキチンと手を洗わない女性というのは、意外にたくさんいるものだ。
濡れた指の行先は様々。同じように前髪を直すために使われることもあれば、着ている服で無造作に拭かれることもある。また、鞄の中をゴソゴソと、ハンカチを探すような素振りを見せながら歩き出すも、トイレから出るあたりではその動きを止め何事もなかったように出ていくという演技派女優もいる。
ハンカチを持たざる女。
手指乾燥機がお馴染みになった現代では、油断してしまうのもしょうがないことなのだろうか。
いや、しかし、百歩譲ってハンカチを偶然忘れてしまっただけだとしても、あの手の洗い方は絶対的におかしい。
そんな洗い方をするぐらいなら、いっそ手洗い場に寄って指先を濡らす必要がないのではないか。
それでも女子たちは必ず手洗い場に寄る。
なぜか。
いろいろ考えてみたのだが、いちばん納得のいった結論がこれだ。
上でも申し上げた通り、女子トイレにはいつもたくさんの人が居合わせている。
すると自然にその視線を意識することになる。
その赤外線防犯システムよろしく張り巡らされた視線を、手洗い場をスルーしてかいくぐるなどということは、不可能なのだ。
手洗い場に寄らないことは、社会的にダメなのだ。
実際にキチンと洗えているかどうかは別として、手洗い場に寄り、水を出す。その事実が重要なのだ。
だから女子は、自分がハンカチを持っていないことをわかったうえで、手を拭く手段がないことを承知したうえで、手洗い場に寄るのだ。
「(あ、さっきの女の人、彼氏待たせてたんだ。手繋いでる。)」
キチンと手を洗い、ハンカチで手を拭くところまで見届けたうえでようやくゲートを通過できるよう、赤外線防犯システムの性能向上を願うばかりである。
ヒートテック大ヒットの原理
ヒートテック。
今や言わずと知れた、ユニクロの看板商品です。
これ、とてもあたたかいですよね。
わたしも高校の頃から愛用しています。部活でソフトボールをやるときには、アンダーシャツとしても使っていたものです。
こういう
あれ、着てないやん
ヒートテックを愛用している方、多いのではないのでしょうか。
「ヒートテック無しじゃ冬越せない!」なんて言う人もいますからね。
きたるべき冬に備えてせっせと食料を蓄えるアリさんに失礼ですけどね。
さて、そのヒートテック、何故あたたかいのでしょう?
人体からは、少なくとも一日800mlの水分が水蒸気として発散されるといいます。
その水分(湿気)を繊維が吸着することによって運動エネルギーが熱エネルギーに変換され、発熱すると考えられています。
ユニクロはそこに着目し、吸湿発熱繊維を用いてヒートテックを開発したわけです。
さらにヒートテックは、発熱だけでなく保温機能も備えています。
繊維と繊維の間にできるエアポケット(空気の層)が断熱効果を発揮し、発生した熱を逃がさないようにしてくれるのです。
・・・うーーーん、ピンと来ない!!
まぁとりあえず、ヒートテックなんかすごいよってことです。
しかしです。
そのすごさ、実際に着用してみて他のインナーとの違いがわかりますか?
長袖インナーって他にも沢山あります。特に女性のみなさんなら身を持って知っているはず。
そう、ババシャツ。
ババシャツ、あたたかいじゃないですか。
ババシャツとヒートテックの違い、あなたにはわかりますか?
例えば何の変哲もないババシャツをヒートテックのパッケージに入れてそっとユニクロの売り場に置いておくとするじゃないですか。
何も知らない誰かがそのヒートテックに擬態したババシャツを買いますね。
翌日着ますね。
するとほぼ100パーの確率で、
「さすがヒートテックあったかいわぁ!!!ヒートテック無しじゃ冬越せないわぁ!!!」
ってなると思うんですよ。
所詮脳の10%しか使っていない人間です。ヒートテックと言われればああヒートテックあたたかいなと考えてしまうのでしょう。
では何故、他の長袖インナーを差し置いてヒートテックだけが大ヒットしたのでしょう?
それはおそらく、呼び名です。
例えば男性のみなさん、想像してみてください。
彼女やナンパした女の子の服を脱がせてみたら「ババシャツ」を着ていた。
わたしは男性ではないので正確なところはわかりませんが、
少なからずガッカリするものはあると思うのです。
「(この子こんな可愛いのに・・・ババシャツ着てる・・・ババシャツて・・・)」
という具合に。
女性の側からしても、「(クソッ油断してババシャツ着てきてしまった・・・)」
ってなると思うんですよ。知らないけど。
一方、ヒートテックの場合はどうでしょう。
はいそれでは男性のみなさん、女の子の服を脱がせますね。
女の子が「ヒートテック」を着ていますね。
「あ、ヒートテックね、あったかいよね」
「うんあったかいね」
ってなると思うんですよ!!
「ババシャツ」が主流だった時代、特に若い女性はその名前とイメージからどうしても長袖インナーを着ることに躊躇いを感じていました。
ところが2003年、その悲しき長袖インナーにユニクロがオシャレな名前を与えました。
それが「ヒートテック」。
かつて若い女性に敬遠されていた長袖インナーでしたが、
そのネーミングによって、彼女たちが躊躇いなく腕を通せるようになったのです。
さて、長くなりましたが、結論といたしまして。
長袖インナーは、ヒートテックというオシャレな名前を手に入れたことによって市民権を獲得することに成功しました。
そこで女性のみなさん、うっかりしてババシャツを着てきてしまったときは、
「いや~寒いからヒートテック着てきちゃったよ~ヒートテックね~~」
と、最後までシラを切り通しましょう!!!!!!